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2006年05月01日

イーエクスナニワ物語(1)~創業までのプロローグ~

イーエクスナニワは創業60周年を迎えます。ホームページコラムの第1弾は、創業者上田清(現相談役)がこの60年を振り返ります。

生い立ち~就職
 私は大正9年に神戸で生まれ、女5人、男1人兄弟の環境に育ちました。少年時代は悪性貧血症と診断され、県立工業高校の機械科を卒業した時も、身長は高かったものの、細くて青白い子供でした。そのため就職活動で東京まで面接に行った際も、健康面で断られました。
 そこで母校の大先輩の紹介で、アサノセメントの子会社のアサノスレート株式会社(当時)さんに引き取っていただきました。工務係となった私は、体が弱くても出来るトレースの仕事をしておりました。
 やがて、静岡県清水市に新工場建設が決まり、私は先輩について現地で駐在することになりました。清水は気候も温暖で、食べ物も美味しかったおかげで、何でも食べられるようになり、なんと体もすっかり元気になったのです。

出征
soudanyakuarmy.gif 21歳の時、徴兵検査を受けた私は甲種で合格し、信太山(堺)の連隊に入隊した後は、初年兵として南満州の砲兵連隊に配属になりました。しかし満州に渡った後、甲種幹部候補生試験に合格し(21名)、帰国して豊橋陸軍予備仕官学校(注)に入校しました。 (注:本職の将校が戦争のため不足し、急きょ育成の目的で設立された学校)
 陸軍予備仕官在校中に第二次世界大戦となったため、翌年見習仕官として再び満州に渡りました(20名)。そこで16名はそれぞれ各地に赴任となり、中島さん(後日当社に入社されナニワハンドを製造開発された人)と2名は原隊へ戻り、私は旅団司令部に入りましたがまもなく司令部は解散し中島さんと同じ原隊に戻りました。
 昭和18年秋、ソ満(現在のロシアと満州)国境へ一部を残して全部隊(砲兵)を移動し、陣地を再構築していたところ、私だけ群馬県の前橋予備士官学校に呼び戻され、末席の教官として赴任しました(在任中に中尉となる)。そうこうしているうちに、終戦を迎えました。

「ナニワスレート」創業
私は晴れて親元に帰ることができましたが、その頃すでに、家族を養なうためにもすぐに「何か事業をやりたい」と決心しておりました。というのも、前橋陸軍予備仕官学校時代教官として教えた生徒(特別甲種幹部候補生)の中には、優秀な方が一杯おられ、私にとっては大変良い刺激となっていたからなのでしょう。アサノスレートさんには大変お世話になりましたので、1年間だけお礼奉公をし、その後9月に退職しました。
そして昭和21年12月3日、出征前にアサノスレートで培った経験を生かし、厚型スレートの製造を目的に、ついに資本金198,000円(当時の上限金額)で会社を設立しました。
 場所は当時から現在の本社所在地でしたが、規模は大変ささやかなもので、役員は私を含めて4名、従業員は20名ぐらいだったと思います。社名は、ごく単純に「スレート」に大阪の「浪速」を付け、それを、当時は少しハイカラなイメージでゴロの良いカタカナだけにして、「ナニワスレート」に決めました。(つづく)



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