コラム連載第2回は、「ナニワスレート」創業後の奮闘記をお送りします。
いよいよ厚型スレート製造開始
昭和21年の創業時は戦後すぐで、焼物日本瓦も不足しており、箱にセメントと砂を詰めて天日に干し、日がたつとひび割れするような手作りに近い商品ばかりでした。
そんな中、当社の厚型スレートは、セメントと砂を強度の出る様な配合にした原料を使用し、鉄製マシンと金型を使い、湿度を調整しながらプレスされ、人が乗ってもびくともしない硬い商品でした。
しかし、その代わりに値段が高かったのでボツボツしか売れませんでした。
「追い風」
昭和23年ごろ、新商品として千代田耐火板という特許セメント商品の実施権を買受け、製造販売施工を始めました。が、これは建物(鉄骨・木造)と建物の間のすきまが狭く外から防火壁を作れないときの特殊な工法の商品で、建物内部から商品を柱の外側へ貼り付けスライドさせた特殊金物で止める工法としてボツボツ採用されていました。
昭和24年にジェーン台風という、大型の台風が発生しました。台風で屋根や瓦が飛び、特に手作りは軽かった為、悲惨な状態で、当社のプレスした厚方スレート瓦だけが飛びませんでした。おかげで、それまで高くて売れなかった当社の瓦が飛ぶように売れるようになり、ほっとしました。
奮闘、そして・・・
昭和26年頃、後発メーカーとの価格競争が予測されるので、他社では簡単に作れない商品(安いセメント商品)の開発の為、日本レイヨンの研究所にはげない表面塗装の仕方を教えてもらいに行きました。熱硬化性樹脂(メラニン樹脂)を塗装して遠赤外線で焼付けを施し(連載第1回にも登場した中島さんが担当しました)、きれいな艶のある瓦が開発出来、枚方方面で使って貰いました。
また同時期に、私はメーカーとして化学の勉強の必要性を感じ、昭和27年に近畿大学理学部化学科に入学しました。
しかし、その頃淡路島では画期的なトンネル窯で焼物瓦が大量に製造され、それが安く出回っていくのを見て、私は後に厚型スレートの製造を断念するにいたりました。
ただその一方で、当社は厚型スレートに代わるものとして、ブロックの製造に着手していたのです。(つづく)
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