イーエクスナニワ物語(3)~ブロック製造とブロックの由来~
今回のコラムは、国産コンクリートブロックの歴史的な第一歩のお話です。
ブロック製造機との出会い
私のアサノスレート時代の上司に奥野さんという方がおられました。この方は日本で初めて外国から輸入したブロックマシンを、自分で翻訳しながら組み立てられたという方なのですが、昭和25年頃前橋にて、私はこの奥野さんにインチサイズ(8インチ×8インチ×16インチ)の世界に通用するコンクリートブロックを教えていただきました(群馬県で同時期、簡単なマシンをつくりかけていたそうです)。
この時、直感的にこれはいけると感じ、新しい物が好きな私はすぐにでも大阪で始めたかったのですが、悲しいかな高額で買えませんでした。それから2年後に東京で簡単なマシンが発売されたので、早速わが社でも採用、製造にかかりました。
(参考文献)
『コンクリートブロックの由来』
(エスビックさんの「日本のコンクリートブロック業界の歴史」より引用)
コンクリートブロックが建築資材として、わが国に紹介されたのは明治後期である。
因みに、世界最初にコンクリートブロックの機械製造を考案したのは、現在世界最大のブロックマシンメーカーであるベッサー社の創業者ハーマン=ベッサー氏であり、1904年(明治37年)のことである。
そして、わが国でブロックが製造され始めたのは、大正時代の初期と言われている。この頃のブロックは思いつき的なものが多く、実験や強度試験なども行われず、データーも解析もないものであった。
1920年(大正9年)から1923年(大正12年)にかけて、住宅、学校、教会、映画館などの数多くの建物がブロックで建てられた。
ところが、1923年(大正12年)9月の関東大震災によって、耐震補強が十分でなかったレンガ状のブロック建造物は崩壊し、ブロックの建材としての使用が禁じられた。
1947年(昭和22年)頃から、木製の箱にコンクリートを詰めて成型する方法で、日本各地でブロックの製造が行われるようになった。
これは、終戦とともに駐留したアメリカ軍が、沖縄をはじめとする各地の軍の施設や住宅にブロックを使用して建設したことが契機となっている。わが国でも焼土と化した都市を前にして、不燃性で、かつ安価で容易に造れるブロック造への関心が高まった。1949年(昭和24年)頃、アメリカからフレーミング、コーパックなどのブロックマシンが導入され、大手資本による大規模な工場ができ、大量生産への対応が徐々に進められた。
一方では、国産機の試作が進み、種々の形式のブロック製造が発展し、生産量は工場数と共に増加の一途をたどった。
また、1952年(昭和27年)には、日本工業規格「空洞コンクリートブロック」
(JIS A5406)が制定され、併行して日本建築学会で「補強コンクリートブロック構造設計基準」、「コンクリートブロック帳壁構造設計基準」が策定され、製造面、施工面での基準が整備された。
(以上、参考文献からの引用でした。)
次回は、コンクリートブロック製造に向けた当社(当時ナニワスレート)熱き闘いをお届けします。ご期待ください。
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